2013年1月30日水曜日

訳者あとがき:世界銀行 その隠されたアジェンダ


大倉純子

 本書は2007年に出版されたエリック・トゥーサン(Eric Toussaint)著 ” The World Bank: a never-ending coup d’état. The hidden agenda of the Washington Consensus”の和訳です。原著はフランス語で2006年に出版されました。

 エリック・トゥーサンは第三世界債務帳消し委員会(The Committee for the Cancellation of the Third World Debt: CADTM) の設立者兼ベルギー代表。

 彼は金融取引課税を求める市民運動ATTACフランス(The ‘Association pour la Taxation des Transactions financière et l'Aide aux Citoyens’)の科学提言審議会メンバーを務めると共に、”Another World is Possible”を合言葉に2001年に第一回が開催され、世界の反グローバリゼーション運動に大きな影響を与えた世界社会フォーラムの国際評議員も務めています。

 CADTMは貧しい国々を押しつぶす対外債務の帳消しを目標に1990年に結成された国際ネットワークで、現在、ベルギー、フランス、スペイン、仏語圏アフリカ諸国、ラテンアメリカ諸国、インド、パキスタンなど南アジア諸国の国際債務問題に取り組む運動団体がメンバーとして加盟しています。

 しかし、第三世界の貧困問題が対外債務の帳消しだけで解決するとCADTMが考えているのでないことは、彼らのHPに「周辺国の対外債務の帳消しはそれ自体が目標なのではない。それは単なる一手段、この地球上において、真に持続可能で社会的に平等な発展を達成するための、不十分ではあるが、しかし必要不可欠な前提条件なのだ。このような発展は南だけではなく、北でも求められている」とあることからも明らかです。

 途上国の債務問題が国際的に大きな盛り上がりを見せたのは1998年から2000年にかけてのジュビリー2000債務帳消しキャンペーンでしたが、国際債務の問題が理論的に深まりを見せ、また、実際に国際政治の面でインパクトを与え始めたのは21世紀に入ってからです。

 2000年を過ぎ、それまでジュビリー2000を中心で引っ張ってきた英米の運動が牽引力を失う中、ジュビリーサウスを始めとする途上国の債務運動の側から「不公正債務」の概念が提唱されました。それまで、「債務返済のために社会政策に予算がまわらない可哀相な貧困国の債務を、G8の力で帳消しにしてください」という請願的・慈善的側面が強調されていた債務帳消し運動から、「債務は不公正な国際政治・経済政策の結果であり、周辺国を永遠に奴隷状況に繋ぎ止める罠である」とし、そのような体制変革の一環としての社会正義の側面が大きくクローズアップされるようになっていきました。

 その具体的表れのひとつがエクアドルです。同国のコレア大統領は、トゥーサンを含む国内外の経済専門家を招聘して公的債務の監査委員会を設置。その結果報告を受けて、2008年末、約定に違法性が見られる国債の利払いを停止し、その一方で、ひそかに債権者と交渉し額面価格32億ドルの債券を10億ドル以下で買い戻しました。つまりエクアドルは22億ドル余りの債務元本と、2008-2030年の間に生じるはずだった年額3億ドルに上る利払いを節約したのです。これらの行動は、主流の政治・経済の世界では「そんなことをすると、その後どこからも融資してもらえず世界経済からはじき出される」禁じ手とされてきたものでした。

 またこの「不公正債務」の概念は環境問題の方面へも援用され、気候変動問題において、その原因を作り出してきた産業先進国が、一番に温暖化の被害を受ける貧困国に対して債務を負っているのであり、先進国から貧困国への“賠償”“負債の返済”という認識の下にその対策が採られるべきだという「気候債務」運動が展開されています。

 本書は、多国籍企業のための新自由主義的グローバリゼーションを豊かな国々の代理人として推進するトロイカ(すなわちIMF、世界銀行、WTO)の中でも、世界銀行に焦点を当てています。IMFが構造調整政策の直接の指南役として表だって“悪役”を演じ、またWTOが大国にとって都合のいい“自由貿易”の真の姿を露骨に表しているのに比して、世界銀行は“貧しい国々の救済者”のイメージをもたれていると思います(もっともWTOは市民からの根強い抗議行動と途上国政府からの不信の前に交渉が妥結できず、事実上停止状態で、富裕国に都合のいい形で自由貿易を推し進める手段は二国間・地域内協定に移っています)。本書でも随所に暗示されているように、世銀で実際に働いている方々の多くは真摯に貧困解決に向けて努力されているのでしょうが、世界銀行全体として、結果的にはどのような姿勢で何を遂行してきたのか、その大きな流れを示しているのが本書です。

 世界銀行は日本の人にとって遠い存在だろうと思います。自分たちとは関係ない貧しい国の救済機関。しかし、日本は二番目に大きな出資国、つまり二番目に大きな投票権を持つ国です。本書で提示された数々の人権侵害、環境破壊的な世銀の業務遂行を止める、あるいは変える力を持っていたはずなのです。

 また、本書が示す世銀のあり方は“終わったこと”ではありません。

 人類のこれからがかかっている気候変動防止協議にも世銀は中心的プレーヤーとして名乗りを上げています。残念ながらここでも世銀は、自然を“投資対象”として金銭価値に換算し、金儲けの道具にする役割を果たそうとしています。

 また、2012年現在、日本での多くの人が懸念しているTPP(環太平洋パートナーシップ)協定も、もし日本が参加して海外投資家との間に紛争が起こった場合、世銀傘下のICSIDが仲裁の場となる可能性が高いのです。

 世界銀行ができて67年。貧困が世界からなくならず、逆に持てる者と持たざる者の格差が拡大しているのは、世界銀行の戦略が図らずも失敗したためか、それとも、あるいは当初の目論見通りの結果なのか、その判断は読者にお任せしたいですが、IMF・世界銀行というブレトンウッズの姉妹に対しては「もうたくさんだ!」という動きが年々激化しています。

 その中心的な舞台のひとつは南米。ウゴ・チャベス率いるベネズエラ、水道事業の民営化に対して激しい市民の抗議行動が起こったボリビア、2002年に一方的に債務デフォルトを宣言したアルゼンチン、先にも触れたエクアドルなどが、IMF・世界銀行と距離を置き、あるいは公然と反旗を翻しています。

 ここからは少し私事になりますが・・

 2001年に来日したアン・ペティフォー(元債務帳消しジュビリー2000国際キャンペーン事務局長、現在、英国のシンクタンク、ニュー・エコノミックス・ファウンデーションのフェロー)が、まだ“途上国の債務問題”しか頭になかった日本の活動家に向かって、「これからは先進国債務が大変なことになる」と力説していたのを今でもよく覚えています。6年後、彼女の予想は現実になり、いまや先進国の債務危機が世界を揺るがしています。

 実は私は6年前から“PIIGS”と侮蔑を込めて呼ばれる債務危機国のひとつ、アイルランドに住んでいます。

 この間私の目の前で起こったことは、
・無謀な借金・貸付で破綻した国内銀行とその債権者(他の欧米の銀行や投資家)の政府資金による救済
・資金不足に陥った政府へのIMF、ECB(欧州中央銀行)、EU(この三者が欧州債務危機のトロイカ)への救済融資
・トロイカへの債務返済のための緊縮財政政策

と、これまでエリックの本などで読んできた「債務危機の際に途上国で起こったこと」とそっくりそのまま。逆に笑えてくるくらいです。トロイカはダブリンまで乗り込んできて、渋るアイルランド政府に“救済”融資を受け入れるよう“説得”しました。

 ちょうどいま、来年度予算発表の時期ですが、反発の強い富裕層や企業への増税は遅々として進まぬ一方で、福祉や教育予算カットはアッという間に決まっていきます。銀行を救済せず破産させることで経済復興を果たしたアイスランドの事例がマスコミで紹介されることはほとんどありません。緊縮予算そのものに対する不満は国内に満ち溢れていますが、そもそも緊縮財政の原因は銀行救済にあるのに、もはやそのことに抗議する声もアイルランド国内では小さくなっていきつつあります。

 大規模な反緊縮抗議行動が繰り広げられる南欧、市民の不満が全国的抗議行動にまで繋がらず政府が粛々とトロイカの指示を実行するアイルランド。この違いはどこから来るのでしょうか。

 バルセロナに住む友人いわく「南欧にはスペイン語を通して南米の影響がダイレクトに伝わるからでないか」と。CADTMの構成メンバー国を見てもわかるように、同じロマン語系の国々の運動間の意見交換は活発で、また、私が見る限りそのディスコースはアングロサクソン系が主流を占める英語のそれとはかなり違っています。私は残念ながら英語を介してしかそれらの言説に触れることができませんが、勢い英語圏の情報が中心になる日本の運動の中にも、ロマン語圏の運動の息吹がもっと伝わって、新しい動きを生み出してくれたらいいなあと思います。

 本書の翻訳には思いの外、長い時間がかかってしまいました。ひとえに訳者の怠慢のせいですが、欧州債務危機により、債務問題が決して“途上国の怠惰”が原因なのではないことが理解され、システムとしての債務の本質により焦点が当たりつつあるこのときに発行にこぎつける事ができて却ってよかったのではないか、などと自分で自分に言い訳をしています。

 孵卵器に入れたままゾンビになってしまいそうな翻訳を気長にまってくれた柘植書房新社の上浦英俊さん、翻訳チェックに協力してくださったニュー・インターナショナリスト・ジャパン翻訳ボランティアの加藤雅子さん、千田雅子さん、向井明代さんに厚くお礼申し上げます。

 監修をお願いした元西南学院大学経済学部教授の吾郷健二氏、根気強く最後まで激励してくれて、かつ校正にも多大な協力をしてくださったATTAC Japan(首都圏)の稲垣豊さん、このお二人がいなかったらこの本は生まれませんでした。心から感謝しています!

 とはいえ、この翻訳の文責はすべて私にあります。この本が、本当に民主的で公正な社会システムとはなにかを考える上での参考に少しでもなれば、これ以上の喜びはありません。

2012年末 大倉純子
 

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